時にはシツコイ性格、食い意地が役に立つ・・・のかも
15才で1型糖尿病を発症した女の子の話。
病気を受け入れられなくて、心療内科に。
その時に感じていたことを絵にしたものがのせられている。
糖尿病の全てがイヤになった気持ち、わかるわ~。
急にインスリン注射を打たなければならなくなったり。
食事に気を付けなければならなくなったり。
暴飲暴食したからだと誤解されたりして。
食べるものに関して、周りからあれダメこれダメそれダメと言われ。
インスリンを打ったら太る、太ったら怒られる…
(お母さんも娘とどう接したらいいか、悩んでいるんだけど)
お母さんとわかりあえない、遠くに感じる…
そんな風に思ってしまったみたい。
で。
アタシの場合はどうだったかを考えてみると。
あまり悩まなかったな。
アタシが発症した時、アタシを生む前から糖尿病だった母。
(アタシが幼稚園児の頃は注射していなかったと記憶しているが)
アタシが発症した時にはすでに日に2回、インスリン注射しているのを見ていたし。
糖尿ってのは自分で注射するものなんだと思ってた。
だもんで。
注射しない人がいるって知った時のがショックだったわ~ (T-T)
で。
アタシが発症したのは1979年で14才で中2だったんだけど。
「高校生になったら、こづかいが増える!
そしたら、兄貴みたいにコロッケの買い食いが出来る!」と思ってた。
なのに、揚げ物を食べる時は衣を剥がした上で半分だけ、と言われて。
なにをぅ~?!
てっ、、、てやんでぇい!なんの、これしき!
負けるもんけぇぇ~!!
ならば!
食べても尿糖が反応しないように・・・
コントロールが上手く出来るようになってやらぁ~!!
そんなことを思ったのであった。
アタシはどうやら昔っから、強がりとハッタリで生きていたらしい ^^;
(当時はまだ血糖測定器を見たことがなかった。
あったとしても保険適用ではなかったので実費で買うことになったと思う。
で、尿糖試験紙を使ってた。
・・・アタシは血糖測定器が1986年に保険適用になる前から。
1984年頃から「デキストロメーター」8万円)を使ってた、、、いや、使わされてた。
昭和58年頃の8万は高価だったハズ、っていうか、いまでも8万ていうたら高いよ)
で。
アタシが1ヶ月の強制入院から退院したのと入れ替わるようにして。
母が腎盂腎炎で腎臓を一つ取る手術をするために長期入院したもんで。
食事などの助けなど、一切なし。
(もともと、アタシは中学入学と同時に家事の代行してたし。
家にいても家事をする母ではなかったんだけど。
料理を教えず、子供に料理させて、そのまま食べる人だったんだから。
食事療法もなにもあったもんじゃない)
気分は、谷村新司さんの「昴」だった。
♪哀しくて目を開ければ 荒野に向かう道より 他に見えるものはなし♪
発症した次の年に発売された曲なんだけど、まぁ、ドップリ浸かってた ^^;
ただ、筆談してくれた小児病棟で教えられたことを必死にするしかなかったから。
なぜって、、、小児外来では誰も筆談してくれず、同伴した母も何も言わず。
その場に居るのに透明人間だったアタシ。
母は、帰宅後もアタシに何も教えてくれなかった。検査の結果さえも。
大学病院通院で。小児科でも、転科した内分泌内科でも言われたことがある。
それは「聞こえる人と一緒に来て」だった。
で、同じ大学病院の内分泌科に通院していた母が小児科の診察室に同伴してた。
これはアタシが内分泌科に転科しても、続いた。
だから、30才を過ぎた頃、大学病院から転院したんだから。
心の支えになったのは、当時放送していたアニメ「機動戦士ガンダム」の主題歌。
「翔べ!ガンダム」だった。
♪まだ怒りに燃える闘志があるなら巨大な敵を討てよ ♪
そうだ、アタシにはコロッケ食べたい!食べても大丈夫になりたい!っていう闘志・・・
いや、野望、、、食い気、食欲があるんだから。
こんなとこでモタクサしてる時間なんゾ無い!と思ってしまったのであった。
だもんで。
自己流で何とかするしかなかったんだけども。
アタシの場合、幼稚園児くらいの時から難聴で会話はほとんど出来ない状態だったんで。
周りからの雑音があまり入らなかったのが良かったのかも。
(それでも、雑音から完全に逃れることは出来なかった)
高校生になって自転車通学するにあたり。
一日の摂取カロリーが変わった時に何が変わったか、といえば。
白米とインスリン量だけ、だった。
ここで。
もしかしたら、白米の量が血糖に関係してるんじゃね?と思い。
主治医や栄養士にゃ~悪いと思ったが無視!
以来、いつでも一食で食べる白米は茶碗に8分目と決めて実行してきた。
(持効型と超速攻型のインスリンの組み合わせで使いだしてからは。
血糖が上がるものを食べる時には超速攻型インスリンを増量して打って食べてる)
で。
我が道を突っ走りまくった結果・・・か・・・どうかは知らないが。
現在、揚げ物を食べても滅多に高血糖にならない程度に血糖コントロール出来るようになった。
シツコイ性格や食い意地も、時には役に立つようだ。
パソコンの不具合をなんとかしようとジダバタしたり試行錯誤するのも、シツコイ性格あればこそだと思う。
これが良いか悪いかは知らんけど。
一応、役にはたってるかも。
いや、面倒なだけな気がする。
でも、終わり良ければすべて良しってことにしておく。
で。
20年ほど前に食べたい時にコロッケが食べられるようになり。
目標を失ってしまったんだけども。
闘病44年の、いまも。
幸い、内科からも眼科からも合併症なしといわれているので。
あと何年、生きるか知らんけど。
このまま、最後まで合併症なしでいけたらいいなと思う。
いま、脳内で流れている歌詞は岡村孝子さんの「夢をあきらめないで」。
♪負けないように 悔まぬように あなたらしく輝いてね♪
↑
この歌、闘病している人に応援歌として薦めたい。
なにか頑張っている人にも。
夢に向かって奮闘している人にも。
※※※※※
追記
・・・ここで、気分転換写真を載せたいところなんだけども・・・
Win10の更新が、何回もインストールの途中で止まっちゃうので。
負担をかけるようなことは止めておく。
20%で止まっちゃったり、74%で止まっちゃったりしてるから。
タスクマネージャーを開いたら、ディスク100%で。。。
ブログを書く場所に辿り着くのも、なかなかできなかったんだよ~ (T_T)
だって、グーグルクロームがちゃんと表示されないばかりか・・・
固まってたから。
ちなみに、インストール。
00:11 74%
01:47 90% だった。
遅すぎ~ ^^;
メモリ4GBのWin10なのに。
10月に入ってからだけでも、更新が5回くらいあったし。
ムリ、、、。
この記事は、ほとんどスマホでチマチマ書き足したもの。
あ。
追記を書いていたら、02:05に。
パソコン画面に「更新プログラムをインストールするために2:18に再起動されます」って表示が出た~♪
やっとだよ。
インストール、成功するといいなぁ。
*****
29日(月)の朝から、高齢の北海道犬・ゆゆんの様子が、なんとなくおかしい。
眠りが深くなっているけど起きると散歩要求するので、連れて行くんだけど。
いままでよか歩みがユックリな上にフラフラヨロヨロしているし。
しきりに踏ん張って、便を出し切ろうとしているように見えた。
・・・こういうことをし始めると、別れが近かったりする・・・
夜の散歩中のゆゆんは、いつもと顔が違う感じがしたし。
アタシも次兄も気が気じゃない。
一応、二人とも、いつ別れが来てもいいような心づもりしてる。
それはもう、1年前から。
でも、ゆゆんは次兄の最愛のワンコだからなぁ~、、、
ゆゆんが逝ったら、兄、寝込むかも?だな。
アタシ、もしかしたら、少しブログ更新を休むかも。。。
テーマ : 病気と付き合いながらの生活
ジャンル : 心と身体