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気が付けば44年が経っていた   ~若年型糖尿病発症は1979年だった~

さっき、腕時計の日付を見てハッとした。
(母が自身の闘病42年で亡くなったので、アタシも42年を越えられないかも!と思ってたけど。
42年を過ぎたら、あまり年数を気にしなくなってたってことに今気付いた)

7月21日って、アタシが14才(中2)で若年型糖尿病を発症した日じゃん!
発症したのが1979年なんで、44年目ってことになるのかな。
今日から45年目に向かってる、で良いんだろうか。

いや、どうなんだろう。
1979年を1年目とするのか、1980年を1年経ったとするのか。
実をいうと、数え方が解らなくて困ってるんだよなぁ~ ^^;
他の人は、どういう風に数えているんだろうか。
気になる。

おもえば。
夏休みに入る数日前からクラスメイトに「なんかくさい」と言われてたんだっけ。
まぁ、自分でもなんか甘酸っぱい臭いがまとわりついてくるなぁとは思っていた。
風呂にも、トイレにも、自室にも。

当時、成人型糖尿病ですでにインスリンを打っていた母がいたので。
母が発しているニオイなんだろうと思っていたんだけども。
それが違ったんだなぁ。

で。
アタシが甘酸っぱい、独特の臭いがしていることに母が気付き。
(たぶん、母自身、身に覚えがあるニオイだったんだと思う)
慌てて開業医にアタシを強制連行。
そこで尿検査をしたら、尿糖がスゴイことになっていたらしく。
「紹介状を持って、即、大学病院へ行きなさい!」と言われたらしい母。
だもんで。
部屋に戻って寝たかったのに、そのまま大学病院の小児科に強制連行されたのであった。
(後で知ったんだけど、甘酸っぱい臭いがするのはかなり血糖が高い時なのだ)

外来で採血とか採尿とか、何か検査したんだろうけど。
よく覚えていない。
夢の中をフワフワ歩いている感じだったアタシ。
車椅子で小児病棟に運ばれて、そのまま1ヶ月の強制入院となったのであった。
気が付いたら、24日の昼過ぎだったよ~。
昏睡はしていなかったみたいだけど、かなり血糖が高かったらしく。
”あと半日~1日遅かったら死んでたかも!”と言われたのは覚えている。
(後で800超えとか1000超え、と言われた。
でも、それが何か?って感じで。ふ~~ん、あ、そう てな感じだったかと ^^;
だって、まだ意味なんか知らなかったから)

で。
意識がハッキリしたと解った途端に、病棟の主治医に宣言されたのだ。
カンファレンスルームとかいう所に連れて行かれて。
カンファレンスルームって、なに???
まぁ、んなこたぁ~、どうでもいい。
とにかく。
”ウイルスにより、すい臓がインスリンを作れなくなったので”
うん。ので、なに?
”インスリンというのは生きるのに必須のホルモンなので”
うん。だ~か~ら~、ナニよ?家事の代行してんだから、もう帰りたいんだけど!
↑ ちょっとイライラしてた(笑)
”日に複数回のインスリン注射が必須”

・・・え、なに?なんですって?紙に書いて!アタシ、耳聞こえないんで・・・
ここで初めて、医師たちにアタシが耳が聞こえない(難聴)と伝えたのであった。
母上、、、伝えてくれよ~。なんで言わないんだよぉっ!!
そしたら、ギョッとした顔されたんだけど~!そこにいた医師とか看護婦さんたちに。

で。
1ヶ月の強制入院が必要で。
インスリンの打ち方や脱脂綿の作り方、食事療法、運動療法など。
ぜぇ~んぶ、詰め込まなきゃならないから!覚えて帰って!
てなことを言われて。

勉強がとんでもなくキライなアタシは。
青天の霹靂~!! って叫んでしまった気がする。
それこそ、\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ? ってな感じだったと記憶している。
こんなこと、思い出さなくていいのに~。

中学入学時から、アタシが家事の代行していたんで。
(兄たち2人も、中学入学から卒業まで、順番に家事の代行させられてきた。
社員だった母が「疲れてる」とか言うて、食事の支度とか、全くやらないんで、、、)
洗濯とか、掃除は纏めてやれば良いとして。
食事の支度はねぇ~、やらなきゃ食べられないからね。
(結局、アタシが入院している間中、兄たちが手分けしてやっていたようだ)

で。
まだ、インスリン自己注射が保険適用ではなかったし。
(保険適用になったのは、1981年)
まだ、患者用の血糖測定器ってのが無くて。(保険適用じゃなかったし)
血糖測定器なんてのは、病棟でも見たことが無かった。
尿糖試験紙「テス・テープ」で、尿糖を測ることを教えてもらった。
で。
まだ、患者用の血糖測定器が無かった頃だよ。
あったかもしれないけど、一般的ではないというか。
保険適用じゃなかったからね。
(自己血糖測定の保険適用は1986年だった)
スパルタな病棟看護師からの指示は、といえば。
「(食前、食後、関係なく)いつでも尿糖は(-)になるように」ってことだった。
そんなの、ムリ~!
だけど、必死こいて頑張ることに。
尿糖の検査にはコツがあって。
結果を知りたい時間、例えば朝食前の尿糖。
それが知りたい場合は、起きたら1回尿を捨てて。
食事の前に採った尿で試験紙を使う、とか。
だから。
朝前・朝後・昼前・昼後・15:00・夕前・夕後・寝前・夜中の2時頃・・・なんて。
一日中、尿検査する日曜日は大変だった。
外出する隙が無いし、頻尿なんてもんじゃない。
でも、必要だっていうからやってた。

だけどねぇ~。
病棟での朝食は食パン1枚とマービーのジャム、サラダ、牛乳、バナナ1/2本てな具合で。
バナナを食べたら、どうしても尿糖が出ちゃうんですのよ!状態だった。
入院中は運動するっても時間と場所が限られちゃうんでムリ。
だって、付き添い無しでは病棟から出るなっていうんだもん。
病室や廊下を走るわけにもいかないし。
ちなみに。
1週間分の、朝・昼・夕の献立をたてろと言われたので。
真面目くさってなんゾ、やってられんので。
・・・真面目にやれよ ^^;・・・
それまで作っていた、野菜炒めとか目玉焼き、アジの開き1枚とか。
たまにカレーとかシチュー、おでん、てな感じで。
一食で食べる量だけ、調整してもらった感じ。
根菜を1単位(80kcal)以上食べる時は。
野菜ではなくて主食の扱いになるって教えてもらった。
夏の果物は、水分が多いスイカが多く食べられておススメとか。

そして、尿の、もう一つの検査。
尿の中のケトン体の有無を測る「クリニテスト」っていう錠剤を小さい試験管の中に入れて検査してた。
クリニテストはねぇ~、ホンットウに、理科の実験だったんだよ~。
家のトイレで、決められた量の尿と水をスポイトで小さい試験管に入れるんだけど。
化学反応で、試験管が熱くなるから火傷しないように注意しなければいけなかった。
・・・日常生活で、子供に危ない事させんなよ!と思ったね・・・
なんで、子供に手技を求めるかなぁ~ (-"-)
まぁ、そういう時代だった、って事なんだろうね。

で。
1979年当時は、ウシインスリンやブタインスリンを日に2回打つのが普通だったようで。
アタシも、インスリン(多分、ラピタードだったと思う)は朝と夕の2回打ちだった。
太くて長さ2センチほどの注射器の針を身体に挿す練習も始まった。
インスリン注射は皮下注射なので。
針が長いもんで、肌に対して45℃くらいの角度で刺さないと筋肉注射になっちゃうようで。
それまで、身体に針を刺すなんて裁縫の針くらいしか無かったし。
毎日、身体に太い針を刺さなきゃならないんだと思うとユウウツだった。
(でも、小学4年くらいの同病の男の子が注射しているのを見て。
なぜか、「負けちゃなんねぇ~!」なんてことを思っちゃったんだよなぁ ^^;)
インスリン注射を打ち始めたら、ガリガリに痩せていたのが1年で10キロ太った!(笑)
これって、病気が発覚する前はインスリンが作れないので。
栄養等が身体の中で使えない状態だったって事なんだと思う。
数年後、ヒトインスリンの製剤が出来たか何かで効果時間が速く短いのが出来て。
日に3回、インスリン注射を打つようになった。

多分、1990年代だと思うけど。
40単位/1mlのインスリンしか無かったのが、100単位/1mlのモノが出来て。
様々な効果時間のインスリンが出来た、と記憶している。
そして。
いつしか、40単位/1mlのインスリンが製造中止になり。
100単位/1mlのインスリンだけになったと記憶している。
ここからだよなぁ。
現在使われている、持効型インスリンとか超即効型インスリンが出来たのは。
個人個人に合ったインスリンを選べるようになったのはいいことだと思う。

キュキュッと効かせたい時に効かせられるインスリンがあるってのは、確かに良い。
だけども。
ウシインスリンを使っていたアタシからしたら、最近のは効きすぎて怖い。
ヘタすりゃ~、命持ってかれちまうんじゃねぇの?って危機感がある。

1979年当時。
一日の摂取カロリーは、1800kcalから始まって。
中学から高校、高校から社会人など、運動量などが変わる度に。
摂取カロリーが変わっていき。
一番長かったのは、2100kcalだったけど、一時、3100kcalなんてこともあった。
でも。
摂取カロリーが変わると、一食で食べて良い主食(白米など)の量が変わるだけだったんだよねぇ。
だもんで。
血糖測定器を使いだしてからは。
白米の量と血糖の上がり方に関係があるんじゃないか?ってことで。
一旦上がったら、運動してもなかなか下がらない血糖をどうにかしたくて。
医師からの摂取カロリーなんぞ無視して。
1食で食べる白米は、女性用の小さ目茶碗に8分目!と決めちゃった。


大学病院の外来は、25才か28才で小児科から内分泌科に転科して。
30才くらいになるまで、大学病院に通院していたけど同病の患者と会うことはなかった。
どんだけ患者、少ないんだよ~!と思ってた。

小児科の時からずっと、外来の時は「聞こえる人と一緒に来て」と言われていたらしく。
20才を過ぎても、母が診察日をアタシに合わせて付き添っていいた。
で。
診察室では、母と主治医が談笑しているだけでアタシには何も解らず。
まるで透明人間みたいだった。
なので。
30才くらいの時に、外来での呼び出しとか筆談に応じてもらえなかったので。
ムリヤリに近い形で紹介状(6~8ヶ月、もらえなかった)を書いてもらって。
テキトウに。
家から近い国立病院に転院しちゃったのだ。
そしたらば。
数年後、独立行政法人になるとかいうて。
「診る医者がいないから転院して」と言われて。
(この時、糖尿なのに見る医者がいないってなにさ?と思った)
人工透析間近の母が透析に通う予定だったクリニックに転院。
いまでも、そこに通ってる。
(ふつうとは逆だと思う。病院の規模的に ^^;)


でもね、、、
そこの医者は院長も我が主治医も、他の曜日指定で来ている先生も。
元は、ムリヤリ紹介状を書いてもらった大学病院の先生なんだよね~。
だからね。
合併症が出て、酷くなってクリニックでは手に負えないとなったらば。
たぶん、大学病院に送り返されちゃうかもしれないので。
だから、合併症が出るままにするわけにゃ~いかないんだわ、アタシャ~。

だもんで。
1979年に教え込まれた、食後の運動。
食後30分から、少なくとも30分の運動をするよう努めているのだ。
入院中は、4階から10階まで10~15往復させられてたし。
縄跳びなら何分、自転車なら何分、てな具合に言われてた。
もう、とっくのとうに、そんなの、忘れちゃったけど。
ただ、アタシにとってラクに出来るのは食後に40~60分の散歩だってだけ。
アタシが40才くらいの時から次兄がワンコを買い始めたので。
散歩の供のワンコがいる時にゃ~、そりゃ~張り切って歩いてたさ。
散歩に行かないと「何故ですか!」ってな感じの、責めるような眼になってたから。
あとが大変だと思うとね。。。
散歩は気分転換も兼ねていたから苦じゃなかった。
なのに。
若い縄文柴犬のゴマの助が酷い貧血が元で永眠してからというもの・・・
なんとなく、散歩をさぼりがちになってる。
雨が降ってるから今はいいや、とか言って。
40才以降のアタシの身体の状態は、わんズが散歩で作ってくれたものなのに。
きっと、サボってたら怒られるよな~と思いつつ。
家の中で踏み台昇降していたりして。
でも、散歩以外は飽きちゃって続かないんだよな~。
困ったもんだ。

*****

母は、1965(昭和40年)にアタシを産む前から糖尿病だったらしく。
長兄と次兄の間に1人、次兄とアタシとの間に1人、アタシの下に1人。
生まれてくることが出来なかった子がいたってことを聞いた。
で。
無事に生まれてきた、アタシら兄妹3人は。
長兄は肌が透き通っている感じで保育器に入り。
次兄は鉗子みたいので頭を挟んで引っ張り出したらしく。
30才くらいまで、額に赤いあとがあった。
・・・どんだけ強くつかんだんだよ?と思う・・・
んで。
アタシは早産だったらしい。
逆子で未熟児で生まれ、泣かないので足を持って逆さまにして少し振ったらしい。
ようやく泣いたところで、体重が2100gだったらしく。
保育器に入れられたんだそうな。

糖尿病発症から44年経つと。
いろんなことを経験してきていると思うんだけども。
ショックだったことってのは、いつまでも覚えているものなんだねぇ。
とっとと忘れちまえば良いモノを覚えてるなんて。
どうかしてる、と思うが。
忘れたくても忘れられないってことなんですかね。



さて。
気分転換しよう~

IMG_5893.jpg



IMG_5947.jpg


なんか。
ザ・スパイダースの「あの時君は若かった」って歌を思い出した。
♪あの時君は若かった わかってほしい ぼくの心を♪



1968年の歌だから、アタシが3才の時のなんだけど。
なぜか、歌える不思議 ^^;


毎日、色々なことがあり。
悩んだり悔んだりするんだけども。
寝て起きたら、元気を出していけるといいね。



テーマ : 病気と付き合いながらの生活
ジャンル : 心と身体

プロフィール

一(はじめ) 

Author:一(はじめ) 
(ゆゆんのつぶやき)


聴覚障害あり 

1型糖尿病。
14才の夏(1979年)に 
「若年型糖尿病」を発症した。

いまのところ(2022年9月)、治療が必要な合併症無し。

*****

 
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