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ウイスキーボンボンを食べた後で  ~回想~

いやぁ~、13日(木)の夕飯後に。
これから散歩に行くから大丈夫でしょ、と思い。
数個だけいただいた、ウィスキーボンボンを食べたらエライ目にあったわ。

なんとなく、まだ、スッキリしていないし。
血糖も、なんか、高めになってる。
(もしかしたら、また全体的に高くなってきている可能性ありだけど。
110超え~150なんてのが数日続いたら、またトレシーバを調整しようかな)

13日(木)の夕飯前の血糖

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夕飯後にウイスキーボンボンを2個ほど食べて。
そのあとに散歩して、トレシーバを打つ前の数値

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ウイスキーだと思わずにチョコを食べたわけだけど。
もしかして、キモチ悪くなったりしたのって動き回ったから余計に酔いがまわった?


そして。
14日(金)の朝の、チョイと遅めの血糖は103

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昼前

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夕飯前

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夕食後に40分ほど散歩して。
定時打ちのトレシーバ前の血糖

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なんか、調子悪いんよねぇ~。



実は、アルコールに弱いっていうのは30才くらいの時に。
大学病院からムリヤリ紹介状を書いてもらって国立病院に転院した時に指摘された。
2回目の内科受診の時、採血室にて。
”いままで、アルコール綿で拭いて皮膚が赤くなったことある?”と聞かれ。
母がなんともないのは見てるけど自分のは覚えてないっていうか、そもそも見てない。
で。
「いつも気にしてなかったんで、解らない」と答えたらば。
”エタノールの消毒綿は止めた方が良いかもね”てことだった。

で。
消毒用エタノールではなく。
国立病院の内科からはヂアミトール水ってのが処方されるようになった。
そして。
国立病院から追い出され、、、いや、転院した先(通院中のクリニック)でも。
オスバンというのが処方されている。


*****


うっかり、ウイスキーボンボンを食べてしまって。
頭痛と吐き気に悩まされながら頭に浮かんだのは。
寺尾聡さんの「ほんとに久しぶりだね」。
♪ほんとに久しぶりだね(中略)だけどダメさ もうこれで終わりにしようよ♪

そして。
松田聖子さんの「スイートメモリー」の歌詞。
♪なつかしい 痛みだわ ずっと前に忘れていた♪



懐かしい痛み、か。
確かに、40年前(もうそんなに前なんか~!って自分でビックリ)。
高卒で入った会社の歓迎会とか忘年会に出席する度に苦痛だった。

1965年生まれで18才の時だから、1983年か。
日に複数回のインスリン注射が必須の糖尿を発症したのが1979年。
ってことは、発症から4年?
いやぁ~、まだウシインスリンやブタインスリンを打っていた頃で。
あの頃は、効き始めが遅いうえに効果時間が8時間くらいと、長いものしかなかったようで。
インスリンといえば、朝と夕の2回打ちが普通だったんだそうで。
アタシも家で、朝と夕の2回打ちだった。
そのうち、色々な効果時間のインスリン(中間型、混合型、即効型など)が出来て。
それまでよか効果が表れる時間が速く、切れる時間が短いものがあり。
アタシは朝・昼・夕の食前(日に3回)インスリンを打つようになった。


でもね~。
1979年にアタシが発症した頃はまだ、インスリンは保険適用ではなく。
患者が家でインスリン注射を打つことを許されていなかった。
(医師等の働きかけにより、保険適用になったのは1981年)
でも。
何故か、アタシと母はインスリンのバイアルと。
個包装でプラスチックのインスリン用注射器を処方されて家で打っていた。
多分、実費で高かったハズ。


で。
昔、母から聞いたんだと思うけど。
(母は言う事が曖昧なので、詳しいことは解らなかったが)
アタシが発症する、もっと前(どのくら前なのか不明 ^^;)は。
ガラスの注射器と針を自分で煮沸消毒して使うよう、指導されていたんだそうで。
( ↑ 母はそんなことしてなかったけど、アタシが発症した1979年夏にはインスリン打ってた)
アタシは恵まれてたんだね。

だって、、、。
インスリンを自分で打っちゃいけないどころか、インスリンを処方されなかった頃は。
朝、病院に行って打ってもらう必要があったっていうんだから。
・・・。
保険が効かないのに、インスリンを打つってことは。
生きるのにインスリンが必要な人たちがいたっていうことなんだろな。

なんてことを。
いつのまにか寝ていたけど、-11℃とうたっている冷却マットの上で。
吐き気で身の置き所が無くゴロゴロした状態で考えていた。



懐かしい、といえば。
40年前の歓迎会と忘年会。
飲む時も飲んだ後も忍耐、飲んだら地獄。

乾杯のビールをクチにして、苦ぁ~い!と叫んでしまったんだけど。
はじめてのビールで思ったのは、大人ってヘンタイなのか?ってことだった。
なんで、こんな苦いものを飲みたがるのさ?って。
50を過ぎて、好奇心でノンアルコールビールを飲んだことがあるんだけど。
もしかして、苦さで暑さを忘れたいからなんだろか?なんてことを思った。
アタシャ~、ビールじゃなくて強めの(甘くない)炭酸だな。

で。
歓迎会の時、初めてのビールなんで。
ひとクチふたクチしか飲んでいないのに、何故か頭痛と吐き気に襲われて。
この時は、初めてだからかなぁと思ったんだけども。
年の暮れあたりに忘年会に行って、また同じようになったので気のせいじゃないなって。

それに。
食事制限もあるのに、食べたら血糖が上がりそうなものがテンコ盛りで。
結局、唐揚げ数個と冷ややっこでご飯を食べていたら”酒飲め“って言われたけど。
酒は辛いしビールは苦いしで、ウーロン茶が苦手なので麦茶を飲んでた。

家に帰ってからが大変だった。
頭は痛いわ、吐き気が止まらないわ、で。
朝まで気持ち悪くて寝られなかったんだから。
翌日が日曜だったから良かったけど、なんか、血糖、高くて哀しかった。

だもんで。
その後、酒の席に誘われても断固!断った。
あまり飲み食い出来ないってのに、会費を払えってのはムカッ腹がたったし。
みんな最初は筆談してくれるんだけど、酒が入ったらそんなの誰もしない。
ってことは。
アタシは話しかけることは出来ても相手の言ってることが解らないんだ。
何時間も疎外感を感じながらその場にいなきゃいけないなんて、アタシは全然楽しくない。
だから。
そう、だから断って断って断りまくったら誘われなくなった。
14才で糖尿を発症してインスリンを打っていたら言われた言葉。
(耳が聞こえなくても、よく言われる悪口は口が読める不思議・・・)
「若いのに糖尿か」「若いのにインスリン打つほど悪いのか」っての。
イヤッてほど言われてきたんで。
「ドクターストップかかってますので」って言ったの。
(実際にはストップかかってないけど)

アタシャ~、面接の時に。
小児発症の糖尿で、日に複数回のインスリン注射が必須と言ってあったし。
だって、月に1回、日曜日に一日中溜めた尿をゴム栓付きの小さい試験管に入れて。
大学病院に行かなきゃならなかったので。
通院には、半日~1日かかるし疲れるんで(一日)休みをもらってた。
診察、薬受け取り、会計まで終わるのが昼を過ぎるのがザラだったから。
(新入社員は有給が無い、みたいなことを6才上の長兄に聞いてたんで)


てなことを考えていたら。
なぜか、中島みゆきさんの歌かな?
「時代」の歌詞が脳裏に表示されたのだった。




残念ながら、両耳ともに失聴しているので曲を聞いたことが無いんだけど。
きっと、いい曲なんだろうなぁと思う。

この曲を思い出したのは、このCDから。

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さて。
気分転換しよう~

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堂々と胸を張って、上向いて

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毎日、色々なことがあって。
昔のことを思い出したり悩んだりするけど。
吐き出せる場所があるっていうのは幸せなこと、なんだろうなと思う。

とりあえず。
寝て起きたら、元気出していこ~。



テーマ : 病気と付き合いながらの生活
ジャンル : 心と身体

プロフィール

一(はじめ) 

Author:一(はじめ) 
(ゆゆんのつぶやき)


聴覚障害あり 

1型糖尿病。
14才の夏(1979年)に 
「若年型糖尿病」を発症した。

いまのところ(2022年9月)、治療が必要な合併症無し。

*****

 
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