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ガラスの注射器   ~昭和30年頃まで煮沸消毒してたみたい~

前記事で。
ペン型インスリン注射器用の針の太さと長さを比較したんだけど。
いまは亡き母から、”昔はガラスの注射器を煮沸消毒してた”と聞いていたので。
いつ頃までなのかな?と思い。
「糖尿病 ガラスの注射器 いつまで?」と検索してみた。

・・・ら・・・

いつ頃から針や注射器はディスポになったのか 2】というページを発見。
(「感染症診療の原則」より)  ↑
※リンクはご自由にどうぞ、とあったのでリンクしています。
ブログ名が解りませんが、ありがとうございます。
勉強になりました。

昭和30年頃まで、ガラスの注射器を煮沸していた。
煮沸ではなく、オートクレーブ消毒ができるようになったのは1974年(昭和49年)頃。
注射器のディスポへ切り替えが実施されたのも、同年7月頃


ということが書かれていた。
老眼で目がチカチカするんで、全部は読んでないし読めないけど。
ディスポっていうのは、使い捨てのプラスチック注射器のことかな?
アタシは好奇心から検索したんだけど、こういう情報は長く残してほしいな、と思う。
きっと、他にも昔のことを知りたいと思っている人がいると思うので。

*****

アタシが糖尿を発症した1979年には。
すでに個包装でプラスチックの注射器だったから。
多分、「マイジェクター」って名前だったかな?と思う。

ん”?!
アタシ、1965年生まれなんだけど。
うおっっ、、、もし、アタシが1974年より前に発症していたらば。
ガラスの注射器を煮沸しなきゃならなかったかもしれないってこと?
発症したのが1979年で良かった~!
・・・いや、結局発症しちゃったんだから、全然良くないけど・・・^^;

で。
いまは亡き母は、アタシを妊娠中にはすでに糖尿だったそうだけども。
アタシが幼稚園児くらいまではインスリン注射をしていなかった。
でも、アタシが糖尿を発症した時にはすでにマイジェクターで日に2回のインスリン注射をしてた。
でも、母がガラスの注射器を煮沸消毒しているのを見たことはない。

1979年といえば、自己インスリン注射が保険適用では無かった頃なんだけども。
(1981年に保険適用になった)
母とアタシは、保険適用前からインスリンを自分(家)で打ってたんだよなぁ、毎日。
(ついでに言えば、自己血糖測定も保険適用になったのは1986年だったと思うけども。
1984年くらいから血糖測定器「デキストロメーター」を使ってた ^^;)

で。
何て検索したか忘れたけど。
広島県糖尿病協会のブログの「第14回 百周年! インスリン治療の歴史」というページに。
(https://hmadec.hiroshima-u.ac.jp/wp/2021/11/08/post-721/ リンクしていません)

日本では1941年~1968年まで鮪や鯨から抽出されたインスリンが市販されていた。
使い捨ての注射器が開発されるまでは、ガラス製注射器や針を煮沸消毒し、繰り返し使っていた。
日本では医療従事者以外が自分に注射することは法律上認められていなくて。
病院でインスリンを打ち、残りは破棄したことにして、その瓶を持ち帰って自宅で打つようなことをしていた。
1971年に日本糖尿病協会は11万4千人の署名を集めたが、インスリンの自己注射が保険で認められたのは1981年。

・・・ということが書かれていた。(目がチカチカするので全ては読んでいないけど)

1980年代に入って、豚のインスリンから人のインスリンを合成する技術が確立されたこととか。
1988年に、ペン型のインスリン注射器が登場したことについても書かれていて。
勉強になりました。
ありがとうございます。

うおぉ~!!
インスリンを病院で打った残りとして処方されてたのかな、アタシ。
ビックリだわ。
ん?でも、アタシ、、、バイアルを月に2~3本、もらってたけど。
それはどういう、、、ん”~~~~。
病院て、薬の在庫とか、厳しく調べると思うんだけど。
それ、どうしてたんだろう??? ^^;
毎月、在庫が足りないってなると誤魔化しきれないよね? ^^;
大学病院でなければならない理由がここにあったのか。
保険が効かないんじゃ、インスリンのバイアルも注射器も扱ってないだろうし。
開業医じゃ大量に出せないだろうし。
そもそも、開業医がインスリン注射をしてくれるかどうかも解らないよなぁ。
ん~・・・
開業医がインスリンを扱ってないから、大学病院の内科が混んでたのかも?

ああ、やっぱし、アタシは生かされたんだな。
小児科外来で筆談には応じてもらえなかったけど。
小児科外来の主治医、輿水先生、ありがとうございました (T_T)

いままでナゾだったことが少しわかって良かったな、と思う。
(アタシのことだから、すぐに忘れちゃうかも?なんだが ^^;)
今まで知りたくても検索の仕方が悪かったのか?
知りたいことが書いてあるところに辿り着けなかったんだけども。

知らなかったことを知ることが出来るっていうのは幸せなことだよな、と。
検索していて思う。
ブログ等に誰かが書いてくれたから解るんだよね。
ありがたいことだ。
アタシの、しょうもないことばかり書いているブログも。
いつかどこかで、誰かの役に立てたら。
好奇心を満たせたらいいな、と思う。



ってことで。
気分転換しよう~

ヨロヨロフラフラしつつも、北海道犬・ゆゆんは頑張って散歩。
ニオイ嗅ぎもちゃんと楽しんでる。

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兄に連れられて嬉しそうな、ゆゆん

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縄文柴犬姉妹
(左:チャー(姉)  右:スー(妹))

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スーは、なんとなく、ゆゆんに似ていて。
天然というか、自由な感じ。
耳は聞こえるけど、聞いてない。
聴こえていると解るのは、オヤツの袋をガサガサすると座って待っているから。
目を離すと何するか解らなくてハラハラするのだが。
まぁ、飽きない。



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ペン型インスリン注射器用の古い針を発見   ~長さを比べてみた~

部屋を片付けて見つけた、古いペン型インスリン注射器用の針。
(Gの前の数字が大きいほど針が細くなる)

で。
見つけたのは・・・
マイクロファインプラス(30G、0.30×8㎜)と、ペンニードル(30G 、0.3×8㎜)

インスリン注射器用の針 マイクロファインプラスとペンニードル

そして、ナノパスニードルⅡ(0.18×4㎜)

ナノパスニードル
     ↑
これ、何故か使用をやめて。
現在使用中のマイクロファインプロ(0.23×4㎜)になった。
多分、通院中のクリニックの都合。
(写真撮り忘れた ^^;)


で。
どのくらい前だか忘れたけど。
以前使っていたハズなのに表示を見て、ビックリ。
多分、ペン型注射器を使うようになった時、長さ8㎜のを使ってたんだね。
(現在は細い上に長さ4㎜のものを使っている)
んで。
見た目がどのくらい違うんだろう?と思って写真を撮ってみたら。
これまた、ビックリ。

(多分、上のが一番新しい)

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並べると、こんな感じ。

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ああ、でも。
一番古いペンニードルの針が太いといっても。
アタシが糖尿を発症した1979年当時は、まだペン型注射器が無く。
予防接種するような、ふつうの注射器を使ってたんだよねぇ。
それ以前は、ガラスの注射器を煮沸して使っていたそうなので。
個包装で、プラスチック製の注射器「マイジェクター」だっただけ良かったかな。
注射器の針は注射器に埋め込んであった(取れない)と思うけど。
針が27Gとか29Gで太かったんだよぉ~。
でも、インスリンを打つ前に注射器内の空気を抜いて。
更に、注射する量+2単位ほどを注射器に吸いだしたらば。
空気と一緒に2単位をピュー!と出して、針の穴が開いているか?と。
ちゃんとインスリンが出るか?を確認する必要があったんだよねぇ。
当時、インスリンが出にくい針があったから。
だもんで。
不良率がどのくらいか知らないけど、必要な本数+α、処方してもらってた。
(最近のは針が短くて細いけどインスリンが出ないっていう経験なし。
針は1回しか使わない、使い捨て。
他の人に聞いたことがないんで、不良品、あるかもしれないな)

針の太さを調べてみたら。
27Gが0.4㎜で、29Gが0.33㎜だった。
(輸液製剤協議会のページを参照しました)

それを日に複数回、腹に刺してた。
針の長さが1.5~2センチくらいあったんだけど。
インスリンは皮下注射、なんだよねぇ。。。
だもんで。
肌を少しつまんで、針の穴を見ながら45度で刺せ、って言われてた。
そうしないと皮下、じゃなくなっちゃうとかなんとか聞いた気がする。
皮膚に刺す角度と針の穴の位置を間違えると、声も出せないくらい痛かった!
・・・軽くトラウマになってる気がする・・・(-"-)

1990年代か、2000年頃に。
ヒトインスリンっていうのが出来た、、、んだったと思うけど ^^;
(間違ってるかも。なんたって、アタシの記憶はアテにならないので)
その時だったか、その後だったか、、、に。
多分、100単位/1mlのインスリンが出来た頃、かなぁ?
インスリンの大きさを小さく出来た、とか、で。
細い針を使うようになったんだと、、、思う。
・・・何から何まで曖昧だなぁ・・・^^;

1979年に日に複数回のインスリン注射が必須の糖尿を発症してから現在まで。
一応、、インスリン注射を欠かさずにウチ、運動と食事療法をしてきたけども。
なんていうか。。。
いつでも行きあたりバッタリだっていうのがね。
性格が、何から何までズズズィ~ッと!
出ちゃってるようで ^^;
曖昧なことが多すぎて、何が何だか解らぬ!

でも、言いたいことは書く。
書いて、書いて、書きまくる。
我が道を突っ走るゾ~!てなことを思いながら。



さて。
気分転換しましょ。

部屋の片付けをしていて出てきたものを載せてみる。

自分で服を作るための本。
「フリールック」

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ウラ (当時の流行りがわかる、、、かも)

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いつのかな?と思ったら、84だって。
一瞬、昭和84、、、と思ったけど。
昭和64年の7日の午前6:30頃に昭和天皇が崩御されたので。
昭和64年は7日しかなかったよなぁ?^^;
ってことは、昭和65年は無いってこと。

ん”~、、、じゃぁ、'84とあるから、1984年、、、かな。

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39年前っていうと19才だけど、アタシは切羽詰まらなきゃ服を縫わないし。
ミシンで縫った記憶もないんで、多分これは母の本。
まだ母の本があったとは驚きだわ。


そして。
北海道犬・ゆゆんがウチに来た頃の写真を発見。
(平成20年4月26日に来た、、、らしい)

当時はまだデジカメでなく、フィルムの24枚撮りのを買って使ってたようで。
現像した写真をデジカメで撮ったんだけど、、、画質、悪すぎ・・・

ゆゆん3ヶ月
すでに王者の風格があるような・・・

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左から 北海道犬・ホク(白いの) 柴犬・ナナち 柴犬・リキ坊 北海道犬・ゆゆん

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後ろで何かやっているのが、ゆゆん
ほかのわんズ(特に左にいる♂2頭)が微妙な顔をしているのは何故だ・・・

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     ↓
アップにしてみたけど、何してるのか解らん・・・
はぁ~、、、どうやら最初っから天然で自由だったようだ。
やっぱ、性格なのかな。

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♂2頭が呆れてるような・・・(ナナちも寝てるようだ)

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うん、寝てるね ^^;

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ゆゆんは寝て起きると大きくなっている感じで。
ほかのわんズが一斉に躾け始めた、4ヶ月の頃のゆゆん

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ゆゆんの後ろにホクが・・・

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ホクといえば、ゆゆんと2頭引きで散歩に行ってたんだけど。
兄によれば、散歩中、柿が落ちてたんで2頭とも1個ずつかぶりついたらしい。
だけども、ゆゆんが先に食べ終わったかと思うとホクに近づいて。
ホクの頬を鼻でツンツンした(「寄こせ!」と催促した)ら。
突かれたホクは、クチの中のものを吐き出して、、、ゆゆんにあげたんだそうな。
・・・ふつうはケンカになるけど、ホクってばゆゆんにベタ惚れだったらしい・・・
ゆゆんはいつも、ホクに向かって唸ってたのに。。。


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*****

25日(土)の朝からゆゆんは家から30mくらいしか歩かなくなった。
自分で家の方へ向かって歩いてくので、アタシはそれに従うのみ。
動きは良かったんだけども、更に歩みがユックリに。
いままで5回くらい、同じような状態になっても回復してきたものの。
翌朝になったら冷たくなってる可能性もあると思うと気が気じゃない。

とりあえず。
カラでもいいから元気出していくしかないかな、と思う。



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時にはシツコイ性格、食い意地が役に立つ・・・のかも

「糖尿病 こころの絵物語」を久しぶりに読みなおしてみた。

15才で1型糖尿病を発症した女の子の話。
病気を受け入れられなくて、心療内科に。
その時に感じていたことを絵にしたものがのせられている。

糖尿病の全てがイヤになった気持ち、わかるわ~。
急にインスリン注射を打たなければならなくなったり。
食事に気を付けなければならなくなったり。
暴飲暴食したからだと誤解されたりして。

食べるものに関して、周りからあれダメこれダメそれダメと言われ。
インスリンを打ったら太る、太ったら怒られる…
(お母さんも娘とどう接したらいいか、悩んでいるんだけど)
お母さんとわかりあえない、遠くに感じる…
そんな風に思ってしまったみたい。


で。
アタシの場合はどうだったかを考えてみると。
あまり悩まなかったな。

アタシが発症した時、アタシを生む前から糖尿病だった母。
(アタシが幼稚園児の頃は注射していなかったと記憶しているが)
アタシが発症した時にはすでに日に2回、インスリン注射しているのを見ていたし。
糖尿ってのは自分で注射するものなんだと思ってた。
だもんで。
注射しない人がいるって知った時のがショックだったわ~ (T-T)

で。
アタシが発症したのは1979年で14才で中2だったんだけど。
「高校生になったら、こづかいが増える!
そしたら、兄貴みたいにコロッケの買い食いが出来る!」と思ってた。
なのに、揚げ物を食べる時は衣を剥がした上で半分だけ、と言われて。

なにをぅ~?!
てっ、、、てやんでぇい!なんの、これしき!
負けるもんけぇぇ~!!
ならば!
食べても尿糖が反応しないように・・・
コントロールが上手く出来るようになってやらぁ~!!
そんなことを思ったのであった。
アタシはどうやら昔っから、強がりとハッタリで生きていたらしい ^^;
(当時はまだ血糖測定器を見たことがなかった。
あったとしても保険適用ではなかったので実費で買うことになったと思う。
で、尿糖試験紙を使ってた。
・・・アタシは血糖測定器が1986年に保険適用になる前から。
1984年頃から「デキストロメーター」8万円)を使ってた、、、いや、使わされてた。
昭和58年頃の8万は高価だったハズ、っていうか、いまでも8万ていうたら高いよ)

で。
アタシが1ヶ月の強制入院から退院したのと入れ替わるようにして。
母が腎盂腎炎で腎臓を一つ取る手術をするために長期入院したもんで。
食事などの助けなど、一切なし。
(もともと、アタシは中学入学と同時に家事の代行してたし。
家にいても家事をする母ではなかったんだけど。
料理を教えず、子供に料理させて、そのまま食べる人だったんだから。
食事療法もなにもあったもんじゃない)

気分は、谷村新司さんの「昴」だった。
♪哀しくて目を開ければ 荒野に向かう道より 他に見えるものはなし♪

発症した次の年に発売された曲なんだけど、まぁ、ドップリ浸かってた ^^;
ただ、筆談してくれた小児病棟で教えられたことを必死にするしかなかったから。

なぜって、、、小児外来では誰も筆談してくれず、同伴した母も何も言わず。
その場に居るのに透明人間だったアタシ。
母は、帰宅後もアタシに何も教えてくれなかった。検査の結果さえも。

大学病院通院で。小児科でも、転科した内分泌内科でも言われたことがある。
それは「聞こえる人と一緒に来て」だった。
で、同じ大学病院の内分泌科に通院していた母が小児科の診察室に同伴してた。
これはアタシが内分泌科に転科しても、続いた。
だから、30才を過ぎた頃、大学病院から転院したんだから。

心の支えになったのは、当時放送していたアニメ「機動戦士ガンダム」の主題歌。
「翔べ!ガンダム」だった。
♪まだ怒りに燃える闘志があるなら巨大な敵を討てよ ♪

そうだ、アタシにはコロッケ食べたい!食べても大丈夫になりたい!っていう闘志・・・
いや、野望、、、食い気、食欲があるんだから。
こんなとこでモタクサしてる時間なんゾ無い!と思ってしまったのであった。

だもんで。
自己流で何とかするしかなかったんだけども。
アタシの場合、幼稚園児くらいの時から難聴で会話はほとんど出来ない状態だったんで。
周りからの雑音があまり入らなかったのが良かったのかも。
(それでも、雑音から完全に逃れることは出来なかった)

高校生になって自転車通学するにあたり。
一日の摂取カロリーが変わった時に何が変わったか、といえば。
白米とインスリン量だけ、だった。

ここで。
もしかしたら、白米の量が血糖に関係してるんじゃね?と思い。
主治医や栄養士にゃ~悪いと思ったが無視!
以来、いつでも一食で食べる白米は茶碗に8分目と決めて実行してきた。
(持効型と超速攻型のインスリンの組み合わせで使いだしてからは。
血糖が上がるものを食べる時には超速攻型インスリンを増量して打って食べてる)



で。
我が道を突っ走りまくった結果・・・か・・・どうかは知らないが。
現在、揚げ物を食べても滅多に高血糖にならない程度に血糖コントロール出来るようになった。

シツコイ性格や食い意地も、時には役に立つようだ。

パソコンの不具合をなんとかしようとジダバタしたり試行錯誤するのも、シツコイ性格あればこそだと思う。

これが良いか悪いかは知らんけど。
一応、役にはたってるかも。

いや、面倒なだけな気がする。

でも、終わり良ければすべて良しってことにしておく。

で。
20年ほど前に食べたい時にコロッケが食べられるようになり。
目標を失ってしまったんだけども。

闘病44年の、いまも。
幸い、内科からも眼科からも合併症なしといわれているので。
あと何年、生きるか知らんけど。
このまま、最後まで合併症なしでいけたらいいなと思う。

いま、脳内で流れている歌詞は岡村孝子さんの「夢をあきらめないで」。
♪負けないように 悔まぬように あなたらしく輝いてね♪
     ↑
この歌、闘病している人に応援歌として薦めたい。
なにか頑張っている人にも。
夢に向かって奮闘している人にも。

※※※※※

追記

・・・ここで、気分転換写真を載せたいところなんだけども・・・
Win10の更新が、何回もインストールの途中で止まっちゃうので。
負担をかけるようなことは止めておく。
20%で止まっちゃったり、74%で止まっちゃったりしてるから。
タスクマネージャーを開いたら、ディスク100%で。。。
ブログを書く場所に辿り着くのも、なかなかできなかったんだよ~ (T_T)
だって、グーグルクロームがちゃんと表示されないばかりか・・・
固まってたから。
ちなみに、インストール。
00:11 74%
01:47 90% だった。
遅すぎ~ ^^;
メモリ4GBのWin10なのに。
10月に入ってからだけでも、更新が5回くらいあったし。
ムリ、、、。
この記事は、ほとんどスマホでチマチマ書き足したもの。

あ。
追記を書いていたら、02:05に。
パソコン画面に「更新プログラムをインストールするために2:18に再起動されます」って表示が出た~♪
やっとだよ。
インストール、成功するといいなぁ。




*****


29日(月)の朝から、高齢の北海道犬・ゆゆんの様子が、なんとなくおかしい。
眠りが深くなっているけど起きると散歩要求するので、連れて行くんだけど。
いままでよか歩みがユックリな上にフラフラヨロヨロしているし。
しきりに踏ん張って、便を出し切ろうとしているように見えた。
・・・こういうことをし始めると、別れが近かったりする・・・
夜の散歩中のゆゆんは、いつもと顔が違う感じがしたし。
アタシも次兄も気が気じゃない。
一応、二人とも、いつ別れが来てもいいような心づもりしてる。
それはもう、1年前から。
でも、ゆゆんは次兄の最愛のワンコだからなぁ~、、、
ゆゆんが逝ったら、兄、寝込むかも?だな。

アタシ、もしかしたら、少しブログ更新を休むかも。。。



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「こころの絵物語」という本を発見して思う   ~回想~

部屋の片付けをしていて。
かなり前に買った本。
「糖尿病 こころの絵物語」(2009年・時事通信社)を発見。

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・・・ナントカ権ってのに引っかかるかもしれないな、と思いつつ載せてみる・・・
所有権、、、違うな。肖像権、、、違う。なんだったっけ ^^;
ああ、著作権だったかも。


内容は、というと。
15才で1型糖尿病を発症した少女のこころの絵本。
病気が受け入れられず苦しんだ、とある。

すでに読んでいるハズだけども。
すっかり忘れているので、読み直してみようと思う。

パラパラめくってみたら、少女が書いたらしき絵がチラホラと。
なんだか、30代で心臓病になったというブロ友さんのブログを思い出した。
病気は違えど、それぞれに苦労や悩みがあるに違いないと思う。
きっと、誰もが通る道なんだ。

糖尿病だって、タイプが違っても同じような悩みを抱えていると思うし。
ウチの例でいえば。
いまは亡き母と次兄は2型糖尿病。
アタシは、、、1979年の発症時に「若年型糖尿病」(現在の1型糖尿病?)と言われて。
発症の初めからインスリン依存状態だったので。
生涯、日に複数回のインスリン注射が必須!
注射を打ち続けないと死ぬ!
そんなことを言われたんだけども。
紹介状をもらって転院したはずなのに、1型か2型か解らないなんてことを言われて。
いまじゃ、タイプ(型)難民みたいになってるんだけど。

ま、アタシの困惑は置いといて。
仮にアタシが1型とすると。
2型でも1型でも、食事とか運動に気を使わなきゃ合併症が出てくるってのは。
同じなんだよね。
しかも、アタシは発症の初め頃から血糖測定器(保険適用は1986年)を使ってたけど。
アタシが発症した時にはすでにインスリン注射を打っていた母(この時、病歴14年)は・・・
どういうワケか、血糖測定器を使うようにとは言われていなかったようで。
多分、母は2000年頃、合併症が進んできてから血糖測定器を使うようになった。
そのように記憶している。

こないだ、血糖測定器が保険で適用されない糖尿患者がいると知り。
ビックリしたわ。
(そういうアタシは、まだ血糖測定器に保険が効かない時。
1984年頃?に高価な血糖測定器(実費で8万)を買い与えられて。
当たり前のように血糖を測っていたというのに。
「こんな高い数字(250~300くらい)を見たくて頑張ってんじゃねぇ~!」とかいうて ^^;
20年ほど血糖を測らず、尿糖試験紙での検査で頑張ってた、、、親不孝者なんだが ^^;)
どうして、2型でインスリンを打っていない人には保険で出ないんだろう。
糖尿を発症した時から「食べるモノに気をつけたり運動したりしろ」って言われるし。
「合併症がぁ~、、、し・め・じ・がぁ~」とか脅すようなこと言われるのに。
2型は人数、多いんでしょ?
なら、なぜ、インスリンを打っていない人にも血糖測定器を出せるようにしないのかな。
合併症を防ぎたくないんだろうか。
使いたいなら自費で買え、なんて、、、医療費がかかり過ぎるし。
合併症が出て、すすんだら身も心も金も大変なんだよ。
いまは亡き母が透析寸前にまでなったのを見ていて、つらかった。
家族も身と心が削られる。
そんな気がした。
それに、送り迎えや医療費などで家計がひっ迫して心荒んだんだから。

話が逸れた、戻そう。

1型でも2型でも、その他のタイプでも。
とにかく、血糖のコントロールには大変な思いをしてるハズだ、と思う。
アタシは一応、インスリン依存状態だし。
病歴44年で、毎食前に超即効型のインスリンを使ってるもんで。
チョイと間食したい時にはインスリン打って食べちゃうんだけど。
2型でインスリンを打っていない次兄は、、、量を気にして食べてる。
見ていて、可哀想になるくらいに。
夕飯後のデザートは、アタシの半分か1/4しか食べない。
朝食後や夕食後に犬の散歩をしているのにね。

アタシだって。
発症から20年後(2000年頃?)くらいまで、揚げ物とかあまり食べられなかった。
食べる時は衣を外した上で半分まで、と言われてた。
衣なしのコロッケの半分、、、てのは哀しくなるんで滅多に食べなかった。
で。
衣ごと1個食べても血糖コントロール出来るようになったのは100単位/1mlのインスリンが出来て。
持効型と超即効型のインスリンの組み合わせで使うようになってから。

あ”~・・・
なんか、涙が出てきた。



とりあえず、気分転換しよう・・・

散歩前のわんズ(左から スー、チャー、ゆゆん)
北海道犬のゆゆん、デカくて太い!!

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縄文柴犬のチャー(奥)とスー(手前)
次兄にリードをつけてもらってる

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で。
アタシの近くで伸びをしたと思ったら、、、
スー!足!アタシの足、踏んでる!

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スー、ア~タ、アタシにナニすんじゃい!(怒)
っていうか、その表情は何?もしかして怒ってる?^^;



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花もいろいろ、犬もいろいろ。
存分に咲き誇るがよいわ。


毎日、いろいろなことがあるし感じるんだけど。
とりあえず。
寝て起きたら、カラでもいいから元気出していこ~。



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トレシーバを19→18にしてみた  ~インスリン量の調整記録/昔の自己管理ノートから回想~

13日(金)の朝の、北海道犬・ゆゆん。
散歩に行く気満々だったけど、いつもよかフラついた歩き方だった。

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昔の血糖測定胃の記録を見つけて、ドキドキしてるので。
まず、ゆゆんをみて気を落ち着けてみた。
すっかり忘れていたモノ、記憶が蘇ってしまった ^^;


でも、まずは現在の事を。
13日(金)の21:00の血糖は、60だった。

ヒューマログを打ち、夕飯を食べ。
その後、高齢の北海道犬・ゆゆんとゆっくり散歩をした後で。
一人散歩を35分ほどしただけ、なんだけど。
夕食後3時間ほどで血糖60ってぇ~のは低いよな。
12日(木)の21:00の血糖も72だったし。

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これは何とかしないと!と思い。
トレシーバを19→18単位にしてみた。

18単位にした時、ふと。
そういえば、わんズが寿命でバタバタ逝きだすまでは。
トレシーバは17~18単位だったんだよな。
ってことは。
もしかして、度重なるストレスで血糖が上がり。
(2023年2月までに寿命や病気で逝ってしまったわんズは、ミミを含めて8頭)

トレシーバが24単位まで増えた後、急激に19単位まで減らす事態になったけど。
いまは(急激に)元に戻っただけ、なんじゃね?
そんなことを思うのであった。

*****

で。
これより下は、いままでの血糖測定の記録。
過去の「自己管理ノート」からの回想。

2018年以前の記録がみつからない。
記録していなかったのか、ノートが行方不明なのかも解らず。
引越しの時に捨てちゃった可能性もあり。
1986年頃使っていた初代の血糖測定器「デキストロメーター」は捨てちゃったモヨウ。
血糖の記録は家の何処かにあるような気もするけど、、、う”~ん・・・(//∇//)
いつでも行きあたりバッタリなもんで、どうにもならん有り様。
血糖測定が大っ嫌いなもんで。
酷い時は月に4日しか測ってなかったんだけど、その期間、20年以上 ^^;
(それ以前は日・祝日だけ、7回/日くらい集中して測ってたハズ)
尿糖試験紙を使っていたんだけど、それ、記録なんゾとってなかったもんね (T_T)
記録しておけば、何かの役にたったかもしれないのに!と思うと悔しい。
だが、後悔先に立たず・・・なのだな。


部屋の片付けをしていて、血糖測定の記録を見つけたので見てみたら。
2018年12月30日(日)の朝、最初に逝った縄文柴犬のミミの時は。
すでにジャヌビアを飲んでいて、超即効型インスリンはノボラピッドだったけど。
トレシーバは17単位だったんだな~。

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で。
2019年3月頃になって、高血糖続きになり。
HbA1Cも6.8%から上がり始めて、12月にはトレシーバが20単位に。
そして。
2019年11月から、超即効型インスリンがノボラピッドからヒューマログに変更になり。

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2020年1月から、飲み薬のフォシーガが処方されて。
5日から、1日おきに飲みだしている。

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    ↑
フォシーガを処方された時に、指示されたことがあったようで。
”血糖が下がるので、トレシーバもヒューマログも減量する”とあった。
トレシーバは、20→16単位に。
ヒューマログは、朝・昼・夕のすべてで半量に。
(この量から調整していくと言われた)
で。
2020年3月まで、高血糖続きだったんだけど。

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     ↑
どうしたことか、3月の再診日はHbA1Cどころか。
採血・採尿をしなかったようで ^^;
インスリン量の調整中だから調べなかったのか?
それとも、主治医が指示するのを忘れたのか?
本当のところは解らないけども。
荒れているのが解っているから測らなかったのかな~?なんてことを思ったが。
2020年3月4日以降は、わりと落ち着いていたようだ。

そして、2020年5月

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ヒューマログもトレシーバも、どんどん量が増えていく・・・

でも、2020年8月になると、朝も昼も夜も、ヒューマログを減らしてる ^^;
まぁ、こういうこともあるってことだね。
     ↓
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いまなら、ヒューマログではなくトレシーバを減らせばいいと解るけども。
この時は、まだ解らなかったみたい ^^;
主治医に指示を仰がず、自己流でやってたから(笑)
やっぱ、血糖コントロールは自分でやりたいと思って頑張っちゃった。
だって、主治医の指示に頼ってばかりいたら。
夜中や連休中などに緊急事態になった時に、自分で対処できないと思ったし。
いまのインスリンは1979年に発症した当時のブタインスリンからしたら、効きが良すぎて。
下手すりゃ~、命持って行かれそうなくらいの低血糖になっちゃうんだから。
ある意味、インスリンを打つってのはアタシにとって命懸け、なんだよ。
劇薬のインスリンを日に複数回、使っているんだし、いつ死ぬか解らないんだから。
アタシは、何かあった時に他の人の責任にしたくないと思う。
だから、出来る限り自分で血糖を管理したい。

それに。
上手く血糖コントロールしながら、好きな時に好きなものを食べたいからね~。
好きな時に好きなものを、と思ったら。
〇×にはヒューマログが何単位必要か?を何回か試したり。
試行錯誤しまくるしかないんだよねぇ。

アタシの場合は、トレシーバで毎食前が80~100になるようにトレシーバで調整。
尚且つ、朝・昼・夕に良く食べるモノを基準としてヒューマログの定量を決めて。
だいたい、次の食前に80~100になるようにしておく。
(アタシはこうすると、急な血糖の変化があった時に解りやすい)
そうすると、〇×を食べるにはヒューマログが何単位必要か解る。
(次の食前に高血糖になったなら、どのくらい足りないかが解るし。
低血糖になったら、どのくらい多かったのかもだいたいわかる。
そのうち、見ただけで大体、どのくらい打てばいいか解ってくる・・・こともある。
たま~に、見た目とは全然違うモノがあるので要注意 ^^;)



さて。
気分転換しよう~

縄文柴犬・チャー(左)とスー(右)
ジャレあいの前触れ・・・

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緊張状態のスー(右)

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チャーのアゴの下から顔だけ右を向いて・・・寸止め
毎度毎度、よく、この距離と速さで寸止めできるよなぁ~と感心する

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ひとしきり、ジャレた後はハウスで仲良く・・・

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赤い実?を見て、何故か。
♪この実なんの実 気になる気になる♪って文字が脳内に現れた ^^;

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(元歌は”この木なんの木 気になる気になる”だったかな~?と思って調べてみたら。
日立のCM ソング「日立の樹」♪この木なんの木 気になる木♪だと知って、ビックリ(笑)
思い込みって怖い。アタシは気になる×2だと思ってた ^^;)


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昔の血糖測定の記録を見つけて。
時には、昔の記録を見てみるのも良いかもしれないなぁ。
そんなココロモチになった。

ああ、それにしても。
やっぱ、アタシって奴ぁ~、いつでも行きあたりバッタリだったんだなぁ。
そんなことを、しみじみ思う、丑三つ時。

とりあえず。
寝て起きたら、元気出していこ~。



テーマ : 病気と付き合いながらの生活
ジャンル : 心と身体

プロフィール

一(はじめ) 

Author:一(はじめ) 
(ゆゆんのつぶやき)


聴覚障害あり 

1型糖尿病。
14才の夏(1979年)に 
「若年型糖尿病」を発症した。

いまのところ(2022年9月)、治療が必要な合併症無し。

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